山内容堂
第十五代土佐藩主。
「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と自らを称し、
酒と詩をこよなく愛し、そして、歴史的な大偉業
である大政奉還の建白を推進した人物。
勝海舟
幕府軍艦奉行並。
長崎海軍伝習所に学ぶ。蘭学・西洋兵学を習得し、
かい臨丸艦長として渡米。元治元年に軍艦奉行に
就任。神戸に海軍操練所を開く。
坂本龍馬ら諸藩の志士を育成し、江戸城無血開場
に成功。
朱の大杯
龍馬の脱藩の許しを請う為に、海舟が飲めない酒を容堂にすすめられ、ためらうことなく飲み干した。その時使われた朱の大杯。(実物)
山内容堂 書『白扇の瓢箪』
容堂は自らの白扇を取り出し、「瓢箪」を描き、その中に「歳酔三百六十回鯨海酔侯(さんすいさんびゃくじゅっかいげいかいすいこう)」と記して、海舟に手渡した。※写真はそのレプリカ。
【検証1】遣倦録
宝福寺に滞在していた山内容堂に同行していた樋口真吉の日記。文久三年一月十四日から十七日まで「山内容堂」一行が
天候不良の ため船が出せず、宝福寺に 宿泊していたこと
を記している。
【検証2】亡友帖
容堂侯との謁見当日の詳細が書かれている勝海舟の日記。江戸へ向かう途中、激しい雨風に見舞われ下田港に寄港。
数人同乗していた門下生の中に、「坂本龍馬」だけが
名前が記されている。
※国立国会図書館所蔵
高知県立坂本龍馬記念館 館長様からの手紙
高知県立坂本龍馬記念館の目指すところは龍馬の顕彰と普及です。(・・・中略)
そこへ、有力な応援団が現れました。下田市の「宝福寺」さんです。
(・・・中略)
覚悟の脱藩だったとはいえ龍馬は許されて以降、動きはにわか
に 活発になるのです。比例して時代の動きも加速度を増します。
宝福寺が歴史の“基点”になったわけです。その会談の部屋がこの
たび 修復再現されました。龍馬記念館にとってもこんな喜ばしいこと
は ありません。龍馬思想の強力な発信基地なのですから。
(・・・以下省略)
2007年11月15日 高知県立坂本龍馬記念館 館長 森健志郎
龍馬木像「風の夢」 ★場所:宝福寺境内
この木像は、伊豆龍馬会の要請に応え、河津町にある、ログハウスの建築などを手がけ、静岡県内で唯一「森の名手・名人」に指定された
天城カントリー工房の土屋宗一郎社長が制作し、寄贈された木像です
名称の「風の夢」は、龍馬が下田の宝福寺で脱藩の罪を許されてから
一年半後の元治元年六月十八日、乗船した長崎丸のシリンダーが
故障して下田港に停泊していた勝海舟の下に、引船の黒龍丸と翔鶴丸を率いて来た坂本龍馬が合流。
下田の町に上陸して「蝦夷地の夢」を語り合っていた事に由来しています。龍馬は、幕府に次々と失われてゆく若い命を、蝦夷の開拓に向けることで未来に繋げたいと、海舟にその準備が整った事を下田で告げているのです。
龍馬石像「志の像」 ★場所:まどが浜海遊公園
平成22年11月27日除幕式。全優石・静岡支部の皆様の尊いご寄付により、下田市に寄贈された。
石像は青石を使った、高さ3.45m(台座込み)。
中国で4ヶ月かけて制作したもの。