八幡山宝福寺
本堂写真
宝福寺の歴史
  1. 永禄2年(1559)11月、信長の圧迫をのがれ、本願寺第11代顕如並に法孫釈了善、真言を改め開基。
  2. 文久3年1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂に勝海舟が来山し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い、許される。当日、龍馬は町の旅館にあって、その朗報を待っていた。
  3. 嘉永7年(1854)日米和親交渉にあたり、日本全権の本陣となり、下田奉行所が置かれた。尚、東大地方史研究中・福田寺を奉行所としてあるのは、編集員に対して、誤って口伝えしたもので深くお詫び申し上げて、改めて、ここに訂正するものである。
  4. 唐人お吉菩提寺、お吉記念館(西ドイツ、英国に博物館として登録されている)
  5. 慶応元年(1865)韮山代官江川太郎左衛門英武の本陣、農兵調練所趾。
  6. 明治に入り、宮城の修復のため寺有地の大半を売却して協力、菊の紋章の仕様を許され、又第1回徴兵検査場として使用されたり、賀茂郡役所として利用されてきた。
  7. 第二次大戦では梵鐘の類は徴収され殺人弾にい潰されている。