お吉のもとの墓
明治24年、第十五代竹岡大乗住職は、
当時下田の稲生沢川の川岸に3日間投げ
捨てられていたお吉の亡がらを引き取り
手厚く葬った、元のお墓。
(
写真:第十五代竹岡大乗住職)
斉藤きち 19歳の写真
この写真は、安政6年、お吉19歳の時のもの。19歳といえば、ハリスと別れ、ハリスの名詞を懐に秘して、孤独の中で、もの思うお吉の心が偲ばれる。当時、横浜で下岡蓮杖により写真を学んだ水野半兵衛が所持していたもので、本人のご好意によって当山お吉記念館に御寄付頂いたものです。
お吉の法名所載の過去帳
竹岡大乗は慈愛の心から法名を贈りました。「貞歓」と書いて「じょうかん」“まことのよろこび”という意味です。
お吉の命日は、明治24年3月27日となっています。
支度金受領覚
奉行がお吉に与えた支度金25両の受領覚。又、年俸は120両にもおよび、当時ハリスの召し使い達は月に一両二分。
町人にはとうてい手にできぬ大金でした。
お吉が使ったかんざし類
お吉人形
第十代 御所人形師 伊藤久重 作。昭和三十七年、二条城で開催された明治天皇五十年祭記念
「幕末維新にみる開国文化展」にて幕末の偉人の一人として
製作された。
人形の顔は、美人画の巨匠・前田青邨・伊藤深水・鏑木清方の
3人がモンタージュを作り、顔を製作。
髪の毛はお吉を敬い、京都祇園の芸姑たちが地毛を提供、使用。
横の駕籠は、お吉が江戸に渡る際に実際に使用された駕籠。
前田青邨
文化勲章受賞芸術院会員。岐阜県出身。本名・廉造。梶田半古大和絵淋派の研讃と卓越した
技術、独特の線描で歴史画・人物画に新境地を開き、多くの名作を
遺した。代表作に「洞窟の頼朝」がある。
(秋田県・高橋勇一氏より)
お吉物語(16画)
お吉の一生が描かれている。新渡戸稲造
新渡戸は、幕末開港の陰に一輪の花と咲いた薄命の佳人
「唐人お吉」の大の同情論者の一人でした。
『から竹(たけ)の浮名の下に 枯れはてし 君が心は大和撫子』
お吉思いのこの歌は博士の奥ゆかしい心情が偲ばれます。
お吉が淵
お吉地蔵は、昭和八年八月に新渡戸稲造によって建立された。
地蔵尊の背面には、氏の母堂の命日にあたる昭和八年七月十七とだけ
刻まれてありましたが、今では摩滅し、定かではありません。
井上剣花坊
近代川柳の祖
「アメリカの ぬらした袖も 土に成り」
西条八十
作詞家。
昭和二十八年、歌詞の一節を書いたもの。
「駕籠で行くのは お吉ぢゃないか
下田港の 春の雨」
山田耕作
お吉の墓前で演奏する山田耕作氏。山田耕作氏は、オペラ「黒船」を作曲した。
民芸 | 市川猿之助・市川松蔦・市川門之助・梅村容子・北林谷栄・佐久間良子・ 太地喜和子・奈良岡朋子・坂東玉三郎・水谷八重子 (五十音順) |
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演歌 | 淡谷のり子・笹みどり・白鳥みづえ・島津亜矢・中村美津子・三笠優子 (五十音順) |
講談 | 天津羽衣(♪お吉物語)・神田陽子 |